沿革
当センターが設置されている雲仙岳は、島原半島の大部分を占めている活火山で、中央部には角閃石安山岩〜石英安山岩の溶岩円頂丘が群立した複式火山である。有史後では、寛文3年(1663年)、寛政4年(1792年)、および平成2年(1990年)に噴火をみているが、噴火地点はいずれも主峰普賢岳(標高1359m)に限られている。
このうち寛文3年(1663年)の噴火では、古焼溶岩が流出したが、その翌年には、旧火口から火山泥流を発生し、死者30余人を出した。また、寛政4年(1792年)の噴火では、新焼溶岩が流れ出し、末期には東に隣接する眉山で大崩壊がおこり、津波が誘発されたことから、有明海沿岸では死者1万5千人にも達する我が国最大の火山災害となった(島原大変)。このような大地変は、不確実ではあるが、天武7年(679年:筑紫大地震)にも発生した形跡がある。
このような過去の経歴から、雲仙岳での大災害の再発が懸念されていて、眉山大崩壊に関する研究と火山観測の実施がかねてから強く要望されていた。また同時に、島原半島には多種類の温泉も湧出していて、火山現象や地震発生のメカニズムを研究する上では、好適の場所でもあった。
昭和30年代当時、九州地方には、わが国では最古の京都大学理学部の阿蘇火山研究施設(昭和2年)が設置されていたが、桜島の噴火再開(昭和30年)にともない、京都大学防災研究所桜島火山観測所(昭和35年)が設立され、また、霧島山の36年ぶりの噴火(昭和34年)で、東京大学地震研究所では霧島火山観測所(昭和38年)の開設準備が進められていた。
九州大学理学部(現在は理学研究院)としても、関係講座の充実化にともなって、火山を対象とする研究観測施設設置の機運が高まり、昭和37年3月、長崎県ならびに島原市の支援を受けて仮施設「島原火山温泉研究所」を発足させ、眉山東麓において地震観測を開始した。さらに昭和42年には、借用していた県有建物と市有敷地を買収し、流動定員1人を運用して、眉山大崩壊と温泉の研究にも着手した。
その直後の昭和43年から、島原半島一帯で地震の群発が極めて顕著となり、鳴動を伴ったことから、地域住民に多大な不安を与え、雲仙火山における常時研究観測態勢の整備が強く要請されるにいたった。このような情勢を背景に、昭和46年4月島原火山観測所が設立された。
当初は、引き続いて火山性温泉を対象とした地球化学的研究が推進されるとともに、その火山観測への導入が試みられた。昭和49年度には「第1次火山噴火予知5カ年計画」が発足したが、当センターは、地震3点観測網と火山ガス観測装置を整備した。
また、同計画により年次的に実施されるようになった全国主要活火山の集中総合観測には、火山ガスと温泉の地球化学的観測で参加した。当時、他の火山観測所すべてが地球物理学的観測しか実施していなかったことから、当センターは極めて特異な存在であった。この集中観測を契機に、火山ガス、温泉の観測を桜島、阿蘇山、浅間山でも着手し、1990年の雲仙岳噴火による中断を余儀なくされるまで継続実施した。
他方、島原半島も含めた九州中部地域は、我が国でも有数の地震群発地帯であり、内陸性の直下型浅発地震による被害が相次いでいる。この地域は、別府湾から島原半島にかけて発達している大陥没地、別府−島原地溝帯にあたるもので、これらの地震群は、九州を南北に分裂させつつある同地溝帯の拡大現象の結果に他ならないと考えられている。
この地溝帯で発生する地震の多くはM<7の極微小〜中地震であるが、直下の浅部で発生しているため、局地的であるが顕著な被害をともなうことがしばしばある。それにもかかわらず、我が国の地震予知計画によって全国的に地震観測網が整備される中で、当地域だけが研究観測に未着手の状態で、社会的にも問題視されていた。
このような情勢に対処するため、昭和55年に、九州大学理学部に地震学講座が開設されたが、観測機関としては、既設の島原火山観測所を拡充することになり、昭和59年4月、島原地震火山観測所への転換をみるに至ったものである。また昭和59年度より地震予知計画に参画し、九州中・北部域を対象に地震観測網の拡充整備を図った。
その後観測所は、広域地震観測網16点、および雲仙火山地域地震観測網9点による定常地震観測を実施するとともに、鹿児島大学、東京大学、高知大学、気象庁との各隣接地震観測点のデータ交換により、九州における地震観測地域センターの役割を担うべく、ほぼ九州全域での常時地震観測態勢へと発展を遂げた。
また雲仙火山においては、1990年11月、198年ぶりに開始した噴火活動の観測強化のため、傾斜、全磁力、GPS観測点の新設に加え、重力計、測量器材なども新たに整備され、火山現象の観測・研究の一層の充実を画策している。
2000年4月よりセンター化され、地震火山観測研究センターになり名実共に九州におけるセンターの役割を担うことになった。
国立大学法人法により、2004年4月から法人化され、国立大学法人九州大学大学院理学研究院附属地震火山観測研究センターが設立された。