雲仙普賢岳災害で思うこと −災害科学って何だろう?− 太田一也

災害科学研究通信 No.48(1993.9)より転載


 雲仙岳の主峰である普賢岳が,1990年11月17日,約200年ぶりに噴火を開始して,既に2年8カ月,溶岩の噴出が始まってからも2年2カ月が過ぎ去った.新溶岩ドームの高さは,元の火口底から約180m,東斜面に垂れ下がったその先端を下底にすると約500mに成長している.
 この間,数次にわたって大火砕流が発生,44人が死亡するとともに,820棟余りの家屋が焼失してしまった.また,土石流も頻発,1300棟余りが全壊または半壊したが,こちらでは死者は出ていない.
 このような自然の威力に,人間の無力さをしみじみと実感せざるを得ない.それにしても,災害科学って何だろう?と,ふと考えることがしばしばである.住民の命を守るために必死になって闘っている地方自治体は,次々と駆けつけた研究者達に,わらをも掴む思いで期待し協力した.果たして彼らは,その期待にどれだけ応えてくれたのであろうか?

 現実は,地方自治体にとっては,荒れ狂う自然の猛威に臨機応変に対応する「活きた災害科学」は,存在しないに等しい.世界に誇る地球科学としての火山学や,安全工学としての砂防学は存在しても,直面している被災地のニーズとはあまりにもかけ離れている.
 地方自治体は,結果論としての論評やただ危険だとの情報よりも,拡大を続ける災害に,今後どうすれば良いのか,具体的にどのように危険なのか,頼りになる役に立つアドバイスを求めている.研究成果として時折示される見解も,あまりにも現実離れした仮定に基づいて出されては,地方自治体にとっては,行政上迷惑千万となることもあり,研究者に対する不信感が拭いきれないのも事実である.
 研究者達の現地活動の一部は,時として住民にも混乱をもたらし学災(学者災害)とも呼ばれている.わが観測所の一室を,外来研究者のために提供している.

 先般,地元のミニコミ紙に「火山学者もいい加減なものと腹が立つ.警戒を要するという火山情報も聞き慣れてピンとこない.全国から来られる大学の先生が火山情報を勝手に出す九大観測所は,一体何をしているのかとさえ云いたくなる」との投書が載っていた.
 ヘリコプターによる観察結果を,記者団にインタビューに答えて話したことが毎日報道されている.しかし,研究者の見解は必ずしも同じではなく,発言は自由でなければならない.まして全国から訪れてくる研究者の多くは,世界に通用する一流の学者である.われわれとしては,彼らの見解に,ただひたすら耳を傾ける他にはない.
 報道機関も,研究者によって異なる見解に戸惑いが見られ,報道のあり方について真剣に反省したこともあったが,長期化すると記者も代わり,相変わらずの状態が続いている.ただ云えることは,研究者にとっては千載一遇のチャンスであり,火山学や砂防学に関する素晴らしい研究成果が,着々と得られつつあることには間違いない.

 それにしても,いま現地で最も頼りにされているのは,陸上自衛隊災害派遣隊(200人)と島原警察署災害警備隊(15人)である.
 島原災害派遣隊は,県知事の要請で,従来の災害救助の枠をこえて,「人命救助及びこれに関する情報収集と警戒」の任務を遂行中である.ヘリコプターや地上でのドップラーレーダー,可視カメラ,暗視カメラを駆使した溶岩ドームや火砕流に関する昼夜を分かたぬ情報収集結果は,民間のケーブルテレビを通じて,災害対策本部や加入者に,VTRやリアルタイムで伝えられている.
さらに,地方自治体の要請があれば,土石流災害の拡大を防ぐため,その流れを予測し,危険区域での土のう積みや鋼矢板打ち込み,溝掘り作業も行っている.これらの行為は,災害を防止するだけではなく,住民に心理的安らぎを与えている.
 他方,警察の災害警備隊は,地震計による火砕流・土石流監視班と現地パトロール班とが連係して,危険が迫った時の住民の避難誘導や救出,主要道路の閉鎖などを,見事なまでにも際どく対処し,生活への影響を最小限にくい止めるとともに,生命の安全を確実に守っている.
 この両隊の活動拠点の一つになっているのが,われわれ九大島原地震火山観測所である.全国の大学で,構内を自衛官と警察官が自由に闊歩しているのは,ここ以外にはないであろう.われわれも,両隊の絶大な支援の下で,能力をこえた研究観測を続けている.災害時における本当に役立つ防災監視体制構築の試みである.

 本誌39号の信州大・川上教授の所感を読み返してみた.4年前の長野県阿南町の地滑りでは,町と消防団の見事な対応で,住民は無事避難した由,いわば素人の直感で事無きを得たということになろうか.そこには,災害科学は介在していなかったようである.
 雲仙岳では,高度の観測や研究,あるいは監視が多くの国立機関によってなされているものの,それらが差し迫った目前の災害対策に,即効薬として果たしてどれだけ活かされているだろうか.要するに災害時に求められているのは,川上教授が提案されているように,観測データそのものではなく,それらを活かし得る専門家チームによる,地方自治体への支援体制なのである.
自然災害科学では,勿論発生した現象の実態把握と究明が先ず必要であろう.そのためには基礎的実験も重要である.しかし,同時に,それまでに蓄積されていた知識を活かさなければ,何の為の災害科学かと疑いたくなってくる.災害科学は,社会に,人に直接役立つものでなければ,存在価値はないと云うのが,災害現場にいるものの率直な感想である.