普賢を見つめて−九大観測所の日々−  (上)警戒区域

西日本新聞1993年10月31日掲載


 雲仙・普賢岳の火山活動を観測し,地元研究者として防災対策に力を尽くす太田一也・九州大学島原地震火山観測所長に11月3日,西日本文化賞が贈られる.噴火から丸3年を迎え,今も住民の安全のため山と向き合う日々が続く九大観測陣と,その周辺の姿を追った.

▽意見調整が難航
 火砕流が警戒区域外の国道57号を初めて越えた今年6月26日の早朝.吉岡庭二郎・島原市長と太田所長がヘリコプターに乗り込んだ.細長く伸びた火砕流の白い先端.その下流には,頻発する土石流のため,土砂除去作業に着手できない被災地が広がっていた.その日の警戒区域見直し協議.「国道57号から約500メートル下流の広域農道までを工事関係者が立ち入り可能な避難勧告地域にして,土砂除去を進めたい」という考えだった吉岡市長に対し,太田所長は「火砕流が続発する危険が高い」と主張.意見調整は難航し,通常1時間程度の協議が2時間近くかかった.
 結局,高田知事の「人命優先」の一言で,警戒区域を広域農道まで拡大することが決定.吉岡市長は「厳しい設定だが皆で協議した結果.ぎりぎりの選択だった」と会見で述べた.

▽工事は今のうちに
 溶岩供給が一時衰えた普賢岳が,再び活発かし始めた今年3月.観測所を訪れた南高深江町の横田幸信町長は「警戒区域内に応急堤防を造りたいが,大丈夫だろうか」と切り出した.普賢岳南東側の赤松谷川に堆積した土砂が,同町側に流れ込むのを防ぐための計画だ.
 当時,赤松谷方向の火砕流は少なかった.太田所長は「工事を行うなら今のうちに」と答えた.山を監視しながら消防団員や自衛隊員が丸1日かけ,土のう1万個を積み上げた.横田町長は「警戒区域内でも,場所によって危険度は異なる.行政がどこまで踏み込めるのか,具体的なアドバイスをいただいた」と語っている.

▽専門家の力借り
 「警戒区域を設定して法で縛ってしまった場合,避難させた住民の生活をどうするのかという問題がつきまとう」.前島原市長の鐘ヶ江管一さんは,最近出版した手記「普賢,鳴りやまず」の中で,住民の安全を守るため,自宅や農地への立ち入りを制限するなど住民の生活を犠牲にせざるを得なかった苦悩を述べている.
 しかし災害が拡大した現在,その線引きは「防災工事」の行方をも左右する.「専門の研究機関の力を借りない限り,市町村が独自に判断することは不可能」(鐘ヶ江さん)な警戒区域設定.地元自治体と観測陣は,時には対立しつつ「安全」「生活」「防災工事」の接点を模索する作業を続けている.


普賢を見つめて−九大観測所の日々−  (中)スタッフ

西日本新聞1993年11月1日掲載


▽高い精度に驚嘆
 9月末,オーストラリアで開かれた国際火山学会.九大島原地震火山観測所から清水 洋・助教授,松尾のり道助手,馬越孝道助手の3人が参加,観測所として初めて雲仙・普賢岳の噴火活動を報告した.
 2年に1回開かれる世界規模の学会.九大スタッフはビデオやスライドを交え,火山性地震の分布や溶岩ドームの成長過程などを発表した.各国から集まった火山学者は,精度の高い観測に「パーフェクト」と驚きの声を上げた.
 清水助教授は「溶岩ドームのすぐ近くに地震計を設置して,震源を決定できた例は,世界的にみても普賢岳以外にない」と話す.わずかな異変や前兆現象をとらえるため,正確なデータを収集したことが評価された.

▽モデル化に弱点
 その一方で,豊富なデータをどう理論付けるか,外国人学者からは厳しい意見が相次いだ.例えば,島原半島西側の橘湾地下深部にあるマグマだまりから,普賢岳まで斜めにマグマが上昇したことは,地震の震源移動から分かる.しかし「なぜ真上に上昇しなかったか」との質問に対して,十分な回答ができなかった.
 「普賢岳噴火のメカニズムを分析する作業が必要だと改めて実感した」.清水助教授は学会を振り返った.マグマだまりの位置や大きさ,マグマ上昇の仕組みなど普賢岳の地下構造の解明はまだ不十分だ.「学問的裏付けのある正確なモデルが確立されなければ,長期予測や噴火予知は不可能」と清水助教授は強調する.

▽専門分野を超えて
 九大観測所に赴任する前は,北海道大学で地震を専門に研究していた松島健助手は今,マグマや山体の動きを把握する地殻変動の観測を続けている.「研究者としては,自分の専門分野を深めたい.しかし地震だけで,火山活動を完全に把握するのは不可能.垣根を超えて観測に取り組まなければ」という.
 現在の九大観測所の陣容は,福井理作技官と内田和也技官を含めて7人.噴火以後,増員はされたものの,ヘリからの上空観測や大幅に増設された地震計の管理など日々の活動は広範囲に及ぶ.
 少ないスタッフの中で,観測態勢を強化すればするほど,研究者として机に向かう時間は限られてくるというジレンマ.
 だが噴火活動は終息の気配を見せない.九大スタッフと大自然の猛威との静かな闘いは,これからも続きそうだ.


普賢を見つめて−九大観測所の日々−  (下)警戒部隊

西日本新聞1993年11月2日掲載


▽24時間の監視
 深夜の九大島原地震火山観測所.普賢岳周辺の地震計データが送られる一室で,自衛隊員と島原署員が目を凝らす.針が小刻みに揺れ始めた.「火砕流波形,20秒経過」.レーダーで山を監視する自衛隊員からは「A方向,5合目停止」と連絡が入った.
 大村市の陸自第16普通科連隊から約100人が常駐する島原災害派遣隊は,観測所のほか,溶岩ドームを望む監視所2カ所で24時間,火砕流発生を観測する.3カ月に1回は,重さ10数キロのバッテリーを担いだ自衛隊員約30人が九大研究陣に同行,山頂付近で地震計の保守点検を行う.警戒区域内で,矢板打ちの緊急防災工事を実施した経験も持つ.
 「ヘリでの上空観測やレーダーによる監視などは,自衛隊でなければできない」.観測態勢の一翼を担う山内明彦連隊長の言葉は「それぞれの持ち場で着実に住民の安全を守りたい」という気持ちの表れでもある.

▽「万が一」に備え
 台風13号が九州に上陸した9月3日.水無川付近にいた島原署災害警備隊の牟田好男隊長は「土石流波形観測」の無線を受けた.「震動波形が大きい」と国道251号の通行止めを指示.国道を土石流が襲ったのは10分後だった.牟田隊長は「上流からどのくらいの規模で土石流が流れるか,地震計の情報が頼り」と話す.
 同署では,水無川方向で大きな火砕流が発生し,先端が国道251号付近まで到達する場合を想定して,九大の地震計データをもとに通行止めマニュアルを作成している.震動波形が完全に振り切れた状態が30秒持続すれば,国道沿いに待機中の機動隊が準備にかかり,60秒を超えた時点で,車輌の通行を規制する.
 「いつ発生するか分からない災害に,常に万が一に備えた態勢をとっている」と長島彰署長.「人命尊重を最優先しなければならない」という使命感を胸に,長崎県警をはじめ全国から派遣された警察官は噴火以降,延べ24万人を超えた.

▽情報の発信基地
 火砕流,土石流の発生と規模をリアルタイムでとらえる地震計データをもとに自衛隊,警察が動き出す.全国でも例がない地元研究機関と「災害警備のプロ」との連携を太田一也所長は最近,科学雑誌で「災害時,本当に役立つ防災監視体制構築の試み」と位置付けた.
 九大観測所,地元自治体,自衛隊や警察など防災機関が目指すのは「住民の安全」.普賢岳を見つめる日々は,一昨年6月の大火砕流以来,間もなく900日を迎えようとしている.