噴火の監視体制


 1990年11月に始まった噴火活動では,当観測所は,地元火山観測機関として大学合同観測班の観測拠点となり,全国の火山研究者を受け入れると共に観測活動の中心的役割を果たしてきた.また,1991年6月の大火砕流以降は,地域防災に関わる火山監視活動の重要拠点として,国内でも類を見ない,自衛隊,警察と一体となった,防災監視体制を構築した.
 1991年6月3日,大火砕流による人命救助の要請を受け,陸上自衛隊島原災害派遣隊が現地入りしたが,火山活動の情報収集の必要から,当観測所にも隊員を派遣,24時間体制での監視活動にあたった.これは主に,火砕流に伴う地震計の振動波形の監視であるが,火砕流発生時には,無線により直ちに情報を救助活動の前線に伝え,2次災害の防止に努めた.同災害派遣隊は,その後「人命救助およびこれに関する情報収集と警戒」の任務で,実に4年半余の長期にわたり当観測所に常駐し,24時間態勢の監視活動を続けた.
 また,学術支援により,悪天候を除き連日,当観測所および大学合同観測班によるヘリコプター上空観測が実施された.観測結果は,記者会見を通じ,テレビ,新聞等で毎日報じられ,火山活動状況の一般への周知,さらに防災意識の向上にも深く寄与した.
 一方,島原警察署も,約4年の間,署員を常駐させ,火砕流,土石流による振動波形の監視,および研究者との日常的コンタクトによる火山活動の情報収集を行った.これらの情報は逐一現地本部に報告され,緊急時の避難誘導,交通遮断などの重要な判断基準となった.


陸上自衛隊ヘリコプターによる上空観測には、中型のUHー1(ハンター)(写真)と、 小型4人乗、OHー6(オスカー)が用いられた。双発機(バートル)が出動したこともある。
フライトでは主に、自衛隊情報幹部の偵察、研究者を乗せた学術観測が実施されたが、当初は、島原CATVを通じた溶岩ドームの実況生中継も行なわれた。
これらの推計フライト回数(1回30分)は5000回、搭乗した研究者数のべ5000人。
太田観測所長は、フライト時間300時間を突破し、自衛隊初の「名誉パイロット」の称号を授与された。