雲仙記者日記 島原前線本部で普賢岳と暮らした1500日

神戸金史 (毎日新聞福岡総局記者)著 1995年

320頁 ジャストシステム出版  定価 1600円


内容

 91年6月3日の雲仙・普賢岳の大火砕流は43人の犠牲者を出した.臨時の前線本部を設置してい た毎日新聞社からも,取材中の3人が犠牲になった.新人として応援に駆り出されていた著者は,その 後、局長1人,支局員1人となった島原前線本部に配属される.そこから著者は島原市民として,町の人々 や山とついあっていった.
 火山活動が落ち着いたとみられ,防災工事の計画も発表されていた93年には,大土石流と大火砕流が 発生.1人の犠牲者を出し,いくつもの集落がなくなった.やる気を失う著者だったが,この災害と共 に生きていく決意をしていく.
 その後も,市民,火山研究者たち,雲仙を取材するジャーナリストとの交流や,謎のボランティア騒動, 警察官の「逸脱行為」をめぐる報道合戦など,取材を通して様々な事件に遭遇.また,「復興ネット ワーク」などの市民ネットワークも自分たちで作っていく.
 95年の阪神大震災へも応援取材.日本の災害対策の問題点を改めて実感する.

 この雲仙・普賢岳災害では,大きな特徴がいくつかある.まず火山と町とが非常に近くにあること. このことによってこの災害は,復興と災害が繰り返される「共生型」ともいえるものになった. また,火山の研究において も新しい発見が次々となされた.
 住宅密集地域に日本で初めて,警戒区域を設定した災害であることも特記すべき出来事である.これに よって,市民は自分の家に戻ることを法律で禁止され,何万頭もの家畜を死なせたり,作物を枯れさせ たりという,「法災」を受けることになった.
 火砕流,土石流から無事であっても,火山対策のために家を追われる人々,また,復興のために借りた 金を返せず,家を差し押さえられる人など,市民の生活は落ち着かない.彼らの援助についても日本 の災害法制度は整備されているとはいえない.
 本書に述べられた雲仙の記録は、日本の災害対策にとっても貴重なものになるはずである.


第1章 91年6月3日午後4時,火砕流が43人を襲った
第2章 新人記者が出会った雲仙・普賢岳
第3章 警戒区域が設定され,1万人の被災者の長い生活が始まっていった
第4章 92年4月1日,島原前線本部がぼくの仕事場兼住居になった
第5章 太田先生の「終息発言」と火山学者たち
第6章 93年4月28日,立ち直りつつある島原を土石流が叩きのめした
第7章 謎のボランティア騒動
第8章 島原で出会ったジャーナリストたち
第9章 94年4月8日,牟田隊長事件
第10章 被災地に生きる
第11章 95年1月17日,阪神大震災が起きた
第12章 95年4月30日,故郷